①三菱一号館 東京丸の内 -都会のビルの谷間に生物多様性をもたらす-

三菱地所の福沢氏(会長)は会社の創業のビルであるジョサイア・コンドル設計の三菱一号館のリノベーションを計画していた。 英国で外構のデザイナーを探す中でケイ山田にたどり着いた。ケイ山田は山田裕人と共にロンドンのコートヤードのガーデンを研究した。
PRINCIPLES OF STYLE スタイルの基本方針
ジョサイア・コンドル設計の美しい建物をより引き立てる植物の構成と四季の変化を感じる事の出来る心地良いスペースとしての庭。 ・植物の生長に従い庭は変化していくものである。高木が育ち灌木類、バラ、宿根草が年を追うごとに庭全体をやわらかく包み込む、 庭が本当に良くなるには年月を必要とする。 ・高木、灌木、草花など多様に使うことにより、自然との共生が生まれ、蝶や虫、鳥などがやってくる場所となる。 ・植物の香り、色どりがハーモニーとなって、心安らぐ場所となる。 ・高木や灌木は騒音を吸収し、太陽の照り返しを防ぎ、二酸化炭素を吸収し酸素を排出するので公園内に良い空気をもたらす。
2009年竣工
(右)ケイ山田による食材図
基本方針を提案させて頂いたが多様性については 当初なかなかご理解が進まなかった。 優秀な方たちなので最後にはご理解を頂き蜂や鳥が集うオアシスとなった。

①みつけイングリッシュガーデン 新潟県見附市 -ボランティアと取り組んだ奇跡の庭園-

新潟県見附市は2000年頃、工場の海外移転により産業が空洞化し、県営の産業団地を誘致したが不振に悩まされていた。 この一角に英国庭園を造り、誘致の要として導入することが決まった。 ケイ山田が2002年にデザイナーとして起用された。指定管理者ではなくボランティアであるナチュラルガーデンクラブ(143名)と連携し、約20年にわたり見附市役所と三位一体となった。多くの人々が憩う英国庭園を実現できた。素晴らしい景観に変わったため、一流企業が産業団地に入居・完売し、5,500人の雇用が創出された。
Before
After
市がガーデンを重点政策とすることで、健康、コミュニティーの形成、街の美化、治安がよくなるなど様々なメリットが出ており、理想的な市政を展開して各省庁の表彰を得ている。市民が自然と外出し、歩き、人と交流することにより健康も増進し医療費抑制となった。ガーデンに隣接し新しいホテルも進出し成功している。
苗も生産し庭園のみならず小学校や街並みの美化に活用している。市内の小中学校に緑化コンペティションを行いケイ山田が指導している。(右写真)
1964年にスタートし、本年で60周年を迎えた“ブリテン イン ブルーム”は、英国中を17のブロックに分け自治体毎に審査を行い、競技活動をしている。ガーデンで盛り上げ、人々の生活を変えていく国民的庭園活動。 2023年6月RHS(王立園芸協会)の審査委員であるトレイシー・ウィルソン氏を山田裕人が招聘し、見附市の庭を評価して頂いた。 インターナショナル化の一環として、みつけイングリッシュガーデンの活動を、英国外で初審査。 Jon Wheatley VMH(英国園芸界の最高勲章ビクトリアンメダル受賞者)氏は、トレイシー氏の調査レポートと、見附市作成の紹介ビデオで審査が行われ、みつけイングリッシュガーデンの卓越した特別な努力に敬意を表して、英国外で初となる【ゴールドコミュニティー賞】を決定。推進者でガーデンデザイナーのケイ山田、運営する見附市、ガーデンボランティアのナチュラルガーデンクラブの三者が受賞する運びとなった。
みつけガーデンを審査するトレイシー・ウィルソン氏
2024年 5月21日 チェルシーフラワーショーの会場で王立園芸協会副総裁から受賞。 林駐英大使・園芸責任者ティム博士が参列。
左端右端2人目 稲田市長 前列右端から3人目元駐英大使ライト婦人 林大使夫妻と並んでバラクラを支えてくださる人たち

③公共庭園 -特色のある景観を英国庭園として-

a. 熊山英国庭園 岡山県赤磐市 2000年

廃校になった小学校を市民の憩いの場所とするため 英国庭園導入がふるさと創生資金により実現。
小学校の思い出が 詰まった施設となった
西日本で初の英国庭園。住民によりオープンガーデンが日本で最初に行われた。合併により赤磐市になったが、熊山英国庭園として観光名所になっている。 後にケイ山田を講演に招待したが全員がドレスコードLadies With Hats で迎えた。

b. びわ湖大津館 滋賀県大津市 2002年

歌舞伎座などの建築を手がけた岡田信一郎氏が設計した旧琵琶湖ホテルを大津市が文化施設としてリニューアル。 ケイ山田がふさわしい景観デザインをした。運営主体となったJFE丸山國生氏より依頼された。

c. 農業公園ベルファーム 三重県松阪市 2004年

農業公園ベルファームの一環としてケイ山田がデザインを依頼された。2003年のチェルシーフラワーショーの庭『レース&タペストリー』を移設した。 ヨーロッパ以外で2例のみの大温室をオランダから輸入した。1.4ha。

d. 中野一本木公園 長野県中野市 2011年

既存にあるバラ園を四季を通じて楽しめる英国庭園に変換するよう中野市長 綿貫氏より依頼され、青木市長に引き継がれ、プロジェクトが進行した。拡張エリアはケイ山田が基本デザインをしたが、残念ながらケイ山田の植栽プランは実現しなかった。

松本平広域公園スカイパーク 2024年3月18日より 現在進行中

2024年3月長野県阿部知事より『松本平広域公園(松本空港信州スカイパーク)魅力向上アドバイザー』としてケイ山田・山田裕人が就任しました。 2025年より段階的にデザインが実現していきます。
地域ボランティアと共に世界に誇れるの空港の美しい庭を目指します

バラクラヒストリー ~BARAKURA History~

【 バラクライングリッシュガーデンの誕生からこれまでのケイ山田とバラクラの歩み 】