①John Brookes MBE 1933-2018

蓼科バラクラの基本設計を担当したジョン・ブルックス氏。
「デンマンズ・ガーデン」を拠点に活動を続けられ、英国園芸に多大な功績を残されたことにより、2004年に栄誉ある英国文化勲章(MBE)を受章された。活動は世界中に及び、これまでに1,000を遥かに超えるガーデンをデザインし、また英国ランドスケープデザイナーズ協会の会長も務められた。
『20世紀後半の最も影響力のあるガーデンデザイナー』として位置づけられている。グリッド理論を提唱し、庭園デザインを普遍化し、ガーデンデザイナーという職業を確立した。チェルシーフラワーショー ショーガーデンでゴールドメダルを4度受賞。
1989年バラクラ基本設計のため初来日。1998年の「UK98 大英国展」の共同プロデュース、庭園のアドバイスや講演などで7回来園した。ちょうど2018年3月25日まで、ロンドンの「GARDEN MUSEUM」(庭園史博物館)ではJOHN BROOKES 展『THE MAN WHO MADE THE MODERN GARDEN』を開催しており、その中に蓼科バラクラの設計図も展示がされていて話題になった。
バラクラの庭園の成長と発展に寄与していただいたことに感謝申し上げます。
「ガーデン・ブック」は主要言語に訳され、約30年にわたって売れ続け世界中のガーデナーの教科書となっている。
ジョン・ブルックス氏によるバラクラ基本設計図
2009年チェルシーフラワーショー
1989年5月
1992年4月

②HILLIER NURSERY

Dennis Woodland VMH

ヒリア・ナーセリーは1864年創業の英国最大の樹木・灌木の種苗会社。プランツマンであるデニス・ウッドランド氏はバラクラの初期の250種類・2500本の植物図面を担当した。 がん宣告を受けた後もアマゾンを探索するなど英国プラントハンターの命がけで植物採取する伝統を受け継いでいる人物である。英国園芸界の文化勲章(VMH)を受賞。 黄金アカシアの植栽は、デニスの提案であった。

③Eddie Clarck stonemason

スコットランド人。 『ATHOLL CRESCENT』に対し、1985年にチャールズ皇太子から年間最優秀石工賞を受ける。 ロバート・バーンズの詩を愛する生粋のスコティッシュ。 弟子が3人バラクラの塀や床敷を担当した。

④Graham Stuart Thomas OBE・VMH 1909-2003

グラハム・トーマスはオールドローズの第一人者で、初期のバラクラのオールドローズの指導をした。英国園芸界の最高指導者としてガーデンファニシングとしての植物の組み合わせを芸術に高めた。代表作Mottisfont Abbeyがある。
ピーター・ビールスが発見したヴァリエガータ・ディ・ボローニャの変異種
『ミセス・ヤマダ』と本人

⑤Peter Beales MBE・VMH 1936-2013

山田裕人はオールドローズの秦斗 グラハム・トーマスから2人の専門家を紹介された。 1人がPeter Beales、もう一人がDavid Austinであった。 ピーターは人格者で世界中にファンがいたので世界中からバラの問い合わせがあった。王立バラ協会の会長を経て世界バラ協会の会長に推薦された。多くの人に永く愛されるバラをクラッシックローズと呼んで自分のコレクションとした。世界中の様々な種類のバラをその性質に合わせて庭に取り入れ、ガーデンローズを確立した。バラクラへは約10回ほど講演やプロジェクトのため来園した。英国政府の主催する1998年UK98イベントでバラクラと協力し日本の室内で真夏にバラを咲かせイベントを成功させた。2003年6月バラの突然変異種を見つけケイ山田と山田裕人の母に『ミセス・ヤマダ』と名づけ捧げた。

⑥Yuji Nouga

メインビルディング
一色建築事務所代表 納賀雄嗣
イエール大学卒業
木造建築のエキスパート
木造3階建ての日本で初めての建築出願となった。
(右)大浦修二
バラクラの建物の全般の設計・管理に携わった。

⑦Professor Robert Adam

エントランスのドーム、ガーデンセンターの大温室、
庭園奥のパラディオスタイルのトイレも基本設計している。
英国古典的建築の第一人者 Driehaus Architecture Prize, 2017 チャールズ国王の建築上のアドバイザーの一人。 オックスフォード大学のライブラリーは彼の代表作。 大丸心斎橋の屋上などバラクラの様々なプロジェクトに協力し、山田裕人にバラクラの建築上のアドバイスをした。

➇Peter Marston

Conservatory コンサバトリー
ヴィクトリア時代に大英帝国が南洋に進出すると熱帯植物を上流階級が楽しんだ。その建物がコンサバトリーと呼ばれた。多くが木造建築で現在では朽ち果てたため、それを再興した建築家がピーター・マーストン。彼のおかげで英国でコンサバトリーが復活した。本人が蓼科へ来園し設計した。部材の製造はノーウィッチにある彼の工場、組み立ては現場監督がロンドンから訪れた。
1976年にジム・キーリングがハンドメイドのポッタリー工房を創業した陶芸家。高い品質で世界中の園芸家を魅了している。バラクラへは何度も来園し寄植えの講習・デモンストレーションを行った。 バラクラで開催されたオープンシアター『真夏の夜の夢』に出演し、歌って踊るなど多才な能力の持ち主でもある。 ケイ山田との交流でブラックポットやフリチラリアポットなどが生まれた。

⑩Garderes

GARDENERS
Tony Boyle(上)
Aleister Nasmyth(下)
Noboru Tsurutani
HEAD GARDENER
Alan Bryant (右端)
Paul Smither
HEAD GARDENER
Andrew Campbell(左)
Andrew Fisher
HEAD GARDENER
Mark Chapman
Andrew Fisher
HEAD GARDENER
Michael Cronin
Andrew Fisher
Michael Vandenberg
Nicholas lenaghan
HEAD GARDENER
Andrew Fisher
James Carmen(右端)
Noboru Tsurutani
Daisuke Yoshimura
HEAD GARDENER
Andrew Fisher(右端)
Noboru Tsurutani(中)
Daisuke Yoshimura(左奥)

バラクラヒストリー ~BARAKURA History~

【 バラクライングリッシュガーデンの誕生からこれまでのケイ山田とバラクラの歩み 】